söndag 29 maj 2011

便利から生まれる、あたらしい不便

昨日沖縄に久々に大きな台風がきたのですが、その影響で今日は職場(図書館)は朝から停電していました・・・ パソコンも使えないので本を貸し出すこともできず、終日閉館。一日中本の修理をしていました。(みなさん、図書館の本は自分の本だと思って大切に使いましょう!公費で買っているので、自分の本とある意味同等ですよ~)

ところで最近のトイレには、手洗い場に「自動手洗い機」のようなものがありますよね?手を差し出したら水が出てくるあれです。

(↑こちら。自動水栓と言うらしい。)

今日職場でトイレに行って手を洗おうとしたときに気づいたのですが、実はこの自動水栓も電気で動いているので、停電の時には使えないのです!さらに私が水回りを 探したところ、自動→手動に切り替えるスイッチもなし!!停電の時は、自動水栓のトイレではまったく手が洗えません!!!大変だ、大変だ。

蛇口をひねって手を洗えばいいところを、「こうしたほうがもっと便利。もっと快適。」という発明から、自動水栓は生まれた(と思う)のですが、電気がなければ手も足も出ないのだなぁと実感しました。

以前読んだ本に、「不便の上に発明が生まれるのではなく、発明の上に便利が生まれる」というフレーズがありましが、特に不便がないところで想像力を働かせて 新しいものを生み出していく人はたくさんいるだろうし、そうしようと努力している人たちもビジネス界にたくさんいると思います。でも例えば今回の件のように、基盤が崩れるだけで本来の目的(=手洗い)さえできなくなっちゃうと、なんだか元 も子もないって感じですよね。そんな元も子もなさそうな「発明」や「作られた便利」が、世の中にはたく さんあるのではないかしら?と思いました。

「あらゆる種類の便利は、新たな不便を生み出すんだ」というのは、私の好きな作家 村上春樹さんの言葉です。

明日は仕事が休みなので、スウェーデンの学校で日本語を教えるときに使う教案を作ります。おやすみなさい!

P.S
ちなみに手は、その後別の階の、回す蛇口のあるトイレで洗いましたよ~。

måndag 16 maj 2011

おだやかに


      おだやかに     谷川 俊太郎
 
追い求めると
楽しみには哀しみしか残らない
甘えると
苦しみはいつまでもうずく

失うもののないこころには
喜びが流れ込んでくる

怒りが閉ざす
こころを閉ざす
うぬぼれがしばる
こころをしばる

おだやかにあれ こころよ
のびやかに しなやかに はれやかに


lördag 14 maj 2011

あなたの冗談はきつすぎて全然面白くないわ、プンプン!


今日、働いている図書館で新聞の整理をしていたとき、建築家の安藤忠雄さんが書いた日本についての記事がよかったので、抜粋を載せます。

『日本人は素晴らしい国民性を持っている。職業柄ではあるが、土木・建築技術のスケジュール管理や品質、安全衛生の管理能力は世界でもトップレベルである。ほかの分野でも繊細で緻密、探求心の強く勤勉な種族として海外でも高く評価されている。』

多くの方が共感できるのではないでしょうか。世界でも評価される国民性をもつ国が、なぜこれほどの閉塞感に覆われているのか・・・。その議論はまた別の機会にするとして、読んでいて久々に日本人であることに誇りを感じたので載せました。

ちなみにドナルド・キーンさんが書いた『日本人の質問』という本も最近少し読みました。これはキーンさんが日本人から受けた質問をもとに日本人の性質について分析しているという、少し変わった手法の本です。例えば日本人から「京都の女性はいい(好き)ですか?」という質問を受けて「なぜ日本人がこのような質問をするのか、日本人自身の日本人女性に対するイメージとは何か、なぜ京都は特別なのか・・・」というようなことを、キーンさんが分析するというような内容です。おもしろいですね。(さらっと読んだだけなので細部が違っていたらごめんなさい・・・。趣旨はこんな感じです。) 

その中でも印象に残っているのは『日本人から受ける質問は、大変真面目な内容ばかりである。』という話。深く納得してしました。スウェーデンでは会話の中でのジョークやウィットは日常茶飯事で、ジョークを理解しなければスウェーデン社会ではやっていけません。逆に、スウェーデンにいるときのやり方で日本で人に接していると、「あなたの冗談はきつすぎて全然面白くないわ、プンプン!」と怒らせてしまうと思います。

異なる文化を受け入れるにしても、異なる文化に溶け込むにしても 柔軟性が大事ですが、場面に合わせて文化を使い分けるのにも柔軟性が必要なんだなぁと感じるこの頃です。

ちなみに上に書いたプンプン発言が気に入ったので、記事のタイトルにしました:)

tisdag 10 maj 2011

フェミニズムと、大きなお世話


今日は母と「英国王のスピーチ」という映画を見てきました。励まされて「明日からがんばろう」と思えるような映画でした。ところで映画を見ながらポップコーンを食べる文化って、欧米由来なのでしょうか?ポップコーンって静かなようで、結構うるさいですよね?ポテトチップスほどじゃないけど、それでもパリパリ聞こえますよね?神経質な人(つまり私)は気になると思います。今日も隣りで母がパリパリとポップコーンを食べるのを聞きながら「静かさを重視するならどんなものがベストかしら」と映画を見ながら考えていたんですが、「ういろう」くらいしか思いつきませんでした・・・塩味のものがほしいときはどうしたらいいんでしょうね。

ところで、スウェーデンは男女平等がかなり徹底した社会なのですが、スウェーデン社会の中に入りこめば入りこむほど、スウェーデン人と深い会話が出来るようになればなるほど、自分との価値観の違いに対峙する場面が多くなってきました。スウェーデンの男女平等について簡単に説明すると、スウェーデン女性は甘えません。「女性だから容赦してもらおう」と考える人はいません。

日本でも「私だって甘えてないわ」と思う女性もいると思うのですが、「甘え」というのは「これは男の人にやってもらおう」というようなものだけではありません。例えば、「男の人を立てる/おだてる」という行為。本来、女の人は男の人より力が弱いというだけで、それ以外のことは男の人と同じくらい自分で何でもできるものです。重い荷物だってある程度は運べますし、機械だって直せる。給料のよい仕事に就くこともできます。

それができるにも関わらず、あえて男の人(主に旦那さんや彼氏)をたてる役に回り、働きやすい環境を整えるよう自然に努力している人は、大変多いと思います。男性もそれで喜ぶわけですから、それでうまく社会が回っていれば、それでもいいんです。日本みたいに。

でもフェミニズムに関心のある人や、私のように他の国の文化/価値観に触れてきた人の中には、「それでは不平等だ」と思い、「日本でも男女に平等な権利と役割を!」と思ってしまうんですね。私はそうした自分の価値観をいま住んでいる実家でも理解してもらおうと、兄弟(父は単身赴任中)に「私たち(母と私)だって働いているのに、家事を任せきりにしないで」と主張したり、料理・洗濯・アイロンとなんでもこなそうとする母に「お母さんが全部やることないんだよ。みんなでやるんだよ」と説得したりしてきました。私は家庭にフェミニズムを導入した英雄気取りでしたが、昨日 母に「お母さんは家事を苦だと思っていないし、やりたいからやってるのよ。今のままでいいのよ。変わろうとする方が苦しいな」と言われ、大変ショックを受けました。フェミニズムによって解放されるはずの女性(=母)が、それを望んでいなかったのです。

「男女平等」 への歴史が一本の線の上にあるとしたら、日本はスウェーデンに後れをとっています。「先進的な取り組みを、まだそれが出来ていない社会に普及させよう。そうすることでその社会はもっとよくなるはずだ」というのは、与える側の理屈であり、受け取る側がそれを望んでいないこともあります。簡単に言えば「大きなお世話」なことがあるのです。むしろ、その方が多いかもしれません。誰だって慣れ親しんだ文化や価値観を更新して、新しいことを始めるのは不安です。それは私がスウェーデン社会に入り込んで感じている不安そのものでもあります。

スウェーデンでは今や当たり前になっている男女平等の価値観も、元は女性を労働力として使うために国が意図して行った改革の結果でした。ちょうどその改革の時期に、これまでの価値観を更新し、新しい価値観に馴染まざるを得なかった80年代のスウェーデン女性の気持ちを考え、切なくなる今日この頃です。私も自分がどう馴染んで価値観を更新していけるのか、苦しさを抱えつつも観察を続けたいと思います。

それにしても「先進的な社会の論理を、後進的な社会にもたらして人々を幸せにする」という考えは、開発論と同じものがありますね。例えば、イスラーム社会で女性の解放をしようとする非イスラーム社会側の取り組みは、本当に現地の人にとって必要なのかというような問題です。西洋の価値観や先進国の価値観が正しいと、誰が決められるでしょう?難しいですね。

söndag 8 maj 2011

新しいスタート


今日から新しくブログをスタートすることにしました!

今までもブログを持っていたのですが(こちら:Njut av livet、コメントにいたずら書きが多いのと、大学を卒業して4月から一転、新生活が始まったので、ブログも新しくすることにしました。前のブログをお気に入りに登録してくださっていた方、すみません!今後もどうぞよろしくお願いします:D

(唐突な話ですが)広告を作るときや、新商品を開発するときって、よくターゲットを明確に決めますよね。以前読んだ広告会社の方の記事にはあるコーヒーの広告を作ったとき次のような細部までターゲットを絞ったそうです。

“会社の役職の40代男性で、日曜の朝は7時ごろに起き、(その)コーヒーを飲んでリラックスした後ゴルフに向かい、ランチにはサンドイッチを食べ -(省略)- 普段聞く音楽はジャズ、というような人」。びっくりですね。ターゲットを絞ると商品の軸がぶれないし、販売戦略も立てやすいのだと思います。 

今回ブログを新しくしようと思ったとき真っ先に考えたのは、「どんな人に向けて発信しようかな」ということでした。仲のいいお友達なのか、オープンにするからには誰でも読んで分かる内容にした方がいいのか、テーマにしている「スウェーデン」や「日本語教育」に興味のあるる方を想定するのか・・・
それぞれ「私」や「私の知っていること」に対して持っている知識が異なるし、そうしたらこちらから発信する内容や言葉にも違いがあるし・・・あーだし、こーだし・・・などなど悩んでいたのですが、そもそも「ブログ」はオープンな日記のようなものなので、「誰かに読んでもらう」ことを想定して書くのではなく、「自分が思ったことや日々のできごとを書きとめたらいいんだわ」というところに落ち着きました。(情報発信を目的にしたブログももちろんありますね。)いろいろ考えてぐるっと回ってスタート地点に戻った感じです。実はそれもいま、この記事を書きながら気づいた感じです。迷ったときは手を動かすべきですね。

以前のブログは「内容がかたい!」とお友だちにもよく言われたので、このブログは力を抜いて、日常のささいな出来事も書いていきたいと思います♪ どうぞよろしくお願いします:D

ところで今回はスウェーデン人がよく使っている「Blogger」でブログを作って見たのですが、アルファベット表記が主流のためか、日本語表記が明朝体しかできません・・・ 私はゴシック体が好きなのに、シクシク・・・ そのうち見慣れるかなー