fredag 22 juli 2011

ブログを移行します!

先日お知らせしていたように、ブログの移行をします!:)
新しいブログはこちら: http://fangadagen-misaki.blog.so-net.ne.jp/

スウェーデン行きまで1カ月を切りました。出発は8/19、お昼の成田空港発です。
日本にいる間の様子も、スウェーデンに行った後の様子も、ブログで発信していきたいと思っています。

コメントなどいつでもお待ちしています:D よろしくお願いします!

torsdag 21 juli 2011

市役所サービスとカカオの逆襲、胸がギュウッとする寂しさ

最近アボガドが高いですね・・・アボガド好きとしては悲しいです。アボガド農園のオーナーがプロポーズしてくれたら、断る前に3日くらいは悩んでしまいそうなくらいアボガドが好きです。そもそもアボガド農園ってあるのかな?

今日は転出などの手続きのために、午前中市役所に行ってきました。8月からとりあえずスウェーデンに住居が移るので、住民票を移したり、年金や健康保険の支払いをストップしたり、いろいろ手続きがあるのです。

市役所での手続きが好きだ!という方にはあまり会ったことがないですが、私も煩雑(はんざつ)そうなイメージを持っていて、「行くの嫌だなぁ」と今朝からグズグズしていました。理由をつけて行くのを止めようとしたり・・・マラソンがある日の小学生みたいなものですね。でもいざ行ってみると、市職員の方の丁寧で親身な対応に感動して、帰るときには「どうもありがとうございました」と深々と頭を下げていまし た。知らないで/やってみないで批判したり、嫌なイメージを持つのはいけないなと反省しました。

最近は窓口の前に「コンシェルジュ」的な役割の人がいて、ちょっと キョロキョロしているとすぐ「どういった御用件ですかー?」とニコニコ寄ってきてくれます。あの方たちは「市民に積極的に声をかけるように!」と言わ れているのだと思いますが、玄関を入った途端、一斉に視線が注がれて、ちょっとドギマギしてしまいます。私はどちらかというと自分の用事はどこの課で扱 われているかくらいは自分で探したいタイプなので、困ってこちらから声をかけるまではそっとして置いてほしいのですが・・・わがままかしら。

コンシェルジュ隊は、目を合わせようものならすぐに寄ってきてくれるので、あまり目も合わせられず、今日も私は「ちょっと声をかけるには遠すぎるな」くらいの距離をキープして、キョロキョロしていました。 その間コンシェルジュ達(数人いました)は助けたそうに私をジッと見てたので、なんだか妙な心理戦みたいに緊張した空気が流れていました。緊張していたのは私だけかもし れないけれど・・・。ともかく、市役所のサービスが向上しているのは素晴らしいことだと思います。市職員のみなさん、お疲れさまです!

それにしても年金といい健康保険といい、大人になると知っておかなければならない知識がたくさんありますね。知らないで大人になると大変なことになるのに、 こういう大事なことは学校で教えてくれません。日本の学校はもっと実践的な、雇用形態とか社会保障についての知識を子どもたちに教えるべきなのに・・・と また日本の教育についていろいろ思いを巡らせた日でした。教育についての意見はまた時間のあるときに書こうと思います。


ところで今日職場でおやつにチョコレートムースを食べたら、数十分後に気持ちが悪くなり、ダウンしていました。チョコ レートと言えば、先々週、誕生日にレストランでチョコレートケーキを食べたときも気持ちが悪くなりました。あの時は「食べすぎかなー」と思っていたのです が、こうしてみるとチョコレートを食べると気分が悪くなる体質になったのかもしれません・・・!同僚に相談すると「カカオはバター(油)みたいなものだか ら、胃に合わなくなったのかもよ~」と言われました。そうなのか、油だったのかー!チョコレートが食べられないなんて、なんとなく悲しいですね。人生の楽しみが一つ減ったような・・・。いや、でもそんなこともないような?

(誕生日に一人ケーキをほおばる様子。
お友達が素敵なディナーをごちそうしてくれました、ありがとう♪)

さて、あんなにケロッと楽しみにしていたスウェーデン行きですが、最近とみに行きたい気持ちがしぼんできました・・・家族ともお友達とも、大切な人たちともお別れするのが急に寂しくなってきて、胸がギュウっと締め付けられる感じです。「何を今さら!」と言われそうですが、自分でも意外なことで戸惑って います・・・。スウェーデンにはこれまで留学や旅行で何回か行っていて、毎回行くのがすごく待ち遠しかったのに。今の気持ちはちょうど、高校生のころ初めて一人で留学で行った ときの気持ちと似ています。期待より不安が大きくて、出会いの楽しみより別れの悲しさが大きい感じ。

でも振り返ってみて言えるのは、あの頃の私は留学を通して内面的に大きく成長して、視野もぐんと広がったということ。今回の渡瑞も、それを通してきっとまた、大きく成長できると思います。・・・が、分かっていても寂しさと胸のギュウっという感じは消えないものですね:P とりあえず前に進みます!


長くなりましたがこのあたりで。今日はこれから大阪の親友とスカイプです:D

onsdag 20 juli 2011

ブログの移行について


それまでずっと使っていたブログを新しくして、春から使い始めたこのブログ。「コメントの仕方がわからない!」と、お友達からの評判が悪いです・・・ごめんね~。

ちょっと調べてみたところ、Googleアカウント等にログインしないといけないみたいです。しかもスウェーデン語だし、コメントする気も失せますよね・・・。ちょくちょくスウェーデン語でブログも書くので勝手がいいと思いこのブログを使い始めたのですが、そもそも情報発信のほとんどは日本のみなさんに向かってしているので、これじゃダメだなと思っています。

近々また新しく移行するので、もうしばらくお待ちください!それまでも読んでね!

写真はドナルドダック・・・ではなくて超不機嫌なときの私です。眠っているところを起こされたり、朝コーヒーが切れていたりするとこうなります。将来私とルームメイトになることになった際にはご注意ください。

異文化理解は、歩みより

暑いので家の中をキャミソールでうろうろしていたら、久しぶりに帰ってきた弟に「見苦しいから もっと服着たら?」と言われしぶしぶTシャツを着ていると、お風呂上がりの彼はパンツひとつでうろうろしていました・・・。姉に対する宣戦布告でしょうか。

話は変わって、異文化理解について最近思うところがあります。それは「異文化理解は歩みより」だということ。片方が片方を理解するだけではダメで、お互いがお互いを理解しようとする姿勢がとても大事だと思います。

そんな考えをいだくきっかけをくれたのは、週に一度チューターとしてボランティアで関わっている日本語学校の学生、Aさん。モロッコ出身のAさんは来日7年目で、日本人の奥さんとのあいだに2歳の娘さんがいます。日本語でのコミュニケーションも十分に取れます。

私はよくAさんと一対一で会話練習をしているのですが、チューターを始めて1カ月ほど経ったころ、こんなことがありました。

私: 「今日は雨が降っていますね。私は雨が好きです。Aさんも雨が好きですか?」
Aさん: 「はい、好きです。雪も好きです。」
私: 「私も雪が好きです!スウェーデンでよくスキーをしました。モロッコでは雪が降りますか?」
Aさん: 「(悲しそうに)降ります・・・、先生、前に写真を見せたじゃないですか。」
私: 「!!」

そうです、Aさんは会話練習を始めた当初、携帯に入れてあったモロッコの写真を私にたくさん見せて、自分の国について説明してくれました。その中にしっかり雪が積った山の風景もあったのに、私はそのことをすっかり忘れていました。というより、写真をみた日から一度もモロッコについて調べたり、興味を持とうとしたことがなかったのでした・・・。

この時私の頭をよぎったのは、自分がスウェーデンにいた頃のことです。スウェーデン人に囲まれて生活しながら、私は常に自分を彼らの文化・やり方に合わせるようにしていました。新しい文化を学ぶことはそれはそれで楽しいものなのだけど、逆にスウェーデン人の方から進んで私の文化を尊重してくれたり、理解しようという姿勢を示してくれたときは、やっぱりとても嬉しい気持ちになりました。

どんなに長く日本に滞在し、言葉を覚えて文化に慣れたAさんでも、心や身体が覚えているのは生まれ育ってきたモロッコの文 化だと思います。そうした心や身体を抱えながら日本で生活する中で、違和感や窮屈さ、疎外感もたくさんたくさん感じ てきたと思います。

そんなAさんが真にこちらの社会に溶け込むためには、Aさんだけが日本文化を理解し、日本のやり方に自分を合わせるだけでなく、その社 会に生きる私たちがAさん自身の文化を理解し、尊重しなければいけません。 片方が(特に力の弱い方が)もう片方を理解するだけではダメで、お互いがお互いを理解しようとする姿勢がとても大事。

そうした姿勢はもちろん一人のヒトとしても意識して持ち続けていたいものですが、日本語教師は学生がその社会の中で「自分のことを」すぐに話せる相手として認識する、大事な話し相手の一人です。そうした意味で、一人のヒトとして以上に彼らのの気持ちをくみ取るように努めなければいけないし、努めたいと思っています。

Aさん自身のアイデンティティに最も影響しているだろう「モロッコ」について興味をいだこうとしなかった自分の態度を深く深く、反省しました。Aさん、ごめんなさい・・・。そして学びをありがとう・・・。ちなみにその後モロッコについていろいろ学び、「タジン鍋」という料理がモロッコ人の食生活に欠かせないものだと分かって会話練習の話題に組み込んだところ、Aさんはとても嬉しそうでした。

異文化理解は、歩みより。秋にスウェーデンに行った際には、私が今のAさんと同じ立場(外国人)になります。そのときどきの自分の気持ちをしっかり受け止めて、異文化理解について考えながら、ヒトとしても日本語教師としても成長していきたいと思います:)

今日はこれから茶道の自主練をします・・・!

tisdag 19 juli 2011

頑張ってどうでもいいことを書いてみよう、の巻

今日は小学校~高校と同じ学校に行っていたお友達Kちゃんとナイトフィーカをしてきました。フィーカと言うのはスウェーデン語で「お茶をする」という意味です。つまり夜にカフェでケーキセットを食べたということですね。ダーイエットは明日からー。

タイトルに「どうでもいいことを書く」なんて書いてKちゃんに悪い気がしますが、実はKちゃんも私のブログを読んでくれていて、「ミサキのブログは難しいことばかりで、たまに分からない!」と言われたのでした。ブログを新しくしたとき、もっと簡単な内容で書こうって決めたのにな~。でも普段からどうでもいいことにも いろいろ意味を見出そうとする性格なのかも?そんな私がブログを書いたら、どうでもいいことでも意味もなく小難しくなっていくのかも?シンプルにいきたいのにね。

そういえば昨日ちらっとみたテレビドラマで、「人間、簡単には変わらないよ。それよりは、自分に合った人を見つけたほうがいいよ。」というセリフを言っていました。

状況はキャリアウーマンが恋人に結婚を申し込まれて、仕事か結婚か悩みすぎて恋人が愛想をつかし、「私、結婚する!悪いところは全部直すから!」と言った彼女に、恋人がプロポーズを取り消して上記のセリフを言う、という場面。

私の好きな言葉に「Jag vill leva lyckligt för att jag är jag」というのがあります。スウェーデンのある映画に使われている言葉で、「私は私のままで、幸せに生きていきたい」という意味です。ありのままの自分で、無理をせずに自然でいたい、その上で幸せを感じたいということですね。一番好きな言葉なのに、なんだかそのことを忘れていた気がします。自分らしさを大事にすることと、よりよい自分になれるよう成長しようとすることは違うのです。
あ~、また小難しくなっちゃった。これも私らしさということで、ご理解ください:P おやすみなさい!

今年の漢字


いつの間にか7月になったなと思っていたらもう7月も後半です!ここ最近いろいろなことがあり、元気がないときにブログを書くのは得意じゃないので、大分足が遠のいていました・・・。8月のスウェーデン行きの準備は着々と進んでいます!:) (むしろ進めないと間に合わないくらい切羽詰まってきました・・・)

毎年12月に日本漢字能力検定協会が、「今年の漢字」を決めていますよね。あれに合わせて、私も毎年勝手に「今年の自分の漢字」を決めているのですが、「今年の漢字は『病』になるのでは・・・」と上半期を過ぎた時点で思ってしまうほど、6月は病ラッシュでした:0

もともと胃が弱いのでストレスが多いと胃炎になったりするのですが、(そして今回もなっちゃったのですが、)この夏は新しい病気も経験!その名も「帯状疱疹(たいじょうほうしん)」!!

簡単に症状を説明すると、体内の神経に沿って線上に湿疹ができ、それがズキズキ痛む病気です。神経は身体中に広がっているので、ブツブツもズキズキも身体中に広がってしまう病なのです。

私の場合、先に湿疹が出てきて、「何だろう、かゆくもないしなー」と思っていたら服に触れるとズキズキ痛くなり、しまいには何をしていてもズキズキしてきました。病院にいってみると結構大変な病気だとわかって数日厳重な自宅療養をすることに・・・。(原因はこれまたストレスらしいです、みなさんもお気をつけください!)

「心も弱っているのに身体もしんどいなんて・・・」と、さらにメソメソしていた私ですが、周りの人の励ましと優しさと、たぶん本来の向上心(?)のおかげで、ここまで元気になりました。みんなありがとう:) 今回、病やそのほかいろいろなハプニングを経験して痛感したのは、自分が周りの人にどれだけ支えられているかということです。今年の漢字は「病」と「謝」になるかもしれません。病に感謝しているみたいになっているけれど。他にも何かよい印象の漢字が似合う年にできるかも。毎日を大切にしながら頑張ります:)

日本語教育のことをちょっと書きたかったのですが、それはまた今度!

※写真は、先週お友達と離島、久高島(くだかじま)に行った時の写真。トトロに会えるかと思いましたが、会えませんでした。大人になっちゃったから見えないのかな~

söndag 5 juni 2011

私の味方


最近ちょっと落ち込むことと体調不良が重なって弱っていたので、昨日大阪にいる友人とスカイプしました。いつも悩むと相談に乗ってくれる友人です。

1時間くらい話した内容を1行くらいでまとめると、親友は「美咲の敵は誰でもない、美咲自身だよ。」と言っていました。落ち込むのも悲しむのも、いろんなことを自分で悪い方向に考えて、しんどくさせているのは自分なんだって。心にさっくりささる言葉でした。そうだよね。

そのあとスカイプが終わって「自分の敵は自分かぁ。自分め・・・」と考えていたのですが、ふと「でも、一番自分の味方になってあげられるのも、自分なんだわ」と気づきました。

自分を苦しめているのは自分の弱さ、自信のなさ、うぬぼれ、などなど。そこで自分をもっと信じてあげて、頑張ってきた自分をほめてあげて、自信をもって誠実に進んでいくよう、応援できるのも、自分しかいないんですよね。私が私の、味方になってあげなきゃ。

söndag 29 maj 2011

便利から生まれる、あたらしい不便

昨日沖縄に久々に大きな台風がきたのですが、その影響で今日は職場(図書館)は朝から停電していました・・・ パソコンも使えないので本を貸し出すこともできず、終日閉館。一日中本の修理をしていました。(みなさん、図書館の本は自分の本だと思って大切に使いましょう!公費で買っているので、自分の本とある意味同等ですよ~)

ところで最近のトイレには、手洗い場に「自動手洗い機」のようなものがありますよね?手を差し出したら水が出てくるあれです。

(↑こちら。自動水栓と言うらしい。)

今日職場でトイレに行って手を洗おうとしたときに気づいたのですが、実はこの自動水栓も電気で動いているので、停電の時には使えないのです!さらに私が水回りを 探したところ、自動→手動に切り替えるスイッチもなし!!停電の時は、自動水栓のトイレではまったく手が洗えません!!!大変だ、大変だ。

蛇口をひねって手を洗えばいいところを、「こうしたほうがもっと便利。もっと快適。」という発明から、自動水栓は生まれた(と思う)のですが、電気がなければ手も足も出ないのだなぁと実感しました。

以前読んだ本に、「不便の上に発明が生まれるのではなく、発明の上に便利が生まれる」というフレーズがありましが、特に不便がないところで想像力を働かせて 新しいものを生み出していく人はたくさんいるだろうし、そうしようと努力している人たちもビジネス界にたくさんいると思います。でも例えば今回の件のように、基盤が崩れるだけで本来の目的(=手洗い)さえできなくなっちゃうと、なんだか元 も子もないって感じですよね。そんな元も子もなさそうな「発明」や「作られた便利」が、世の中にはたく さんあるのではないかしら?と思いました。

「あらゆる種類の便利は、新たな不便を生み出すんだ」というのは、私の好きな作家 村上春樹さんの言葉です。

明日は仕事が休みなので、スウェーデンの学校で日本語を教えるときに使う教案を作ります。おやすみなさい!

P.S
ちなみに手は、その後別の階の、回す蛇口のあるトイレで洗いましたよ~。

måndag 16 maj 2011

おだやかに


      おだやかに     谷川 俊太郎
 
追い求めると
楽しみには哀しみしか残らない
甘えると
苦しみはいつまでもうずく

失うもののないこころには
喜びが流れ込んでくる

怒りが閉ざす
こころを閉ざす
うぬぼれがしばる
こころをしばる

おだやかにあれ こころよ
のびやかに しなやかに はれやかに


lördag 14 maj 2011

あなたの冗談はきつすぎて全然面白くないわ、プンプン!


今日、働いている図書館で新聞の整理をしていたとき、建築家の安藤忠雄さんが書いた日本についての記事がよかったので、抜粋を載せます。

『日本人は素晴らしい国民性を持っている。職業柄ではあるが、土木・建築技術のスケジュール管理や品質、安全衛生の管理能力は世界でもトップレベルである。ほかの分野でも繊細で緻密、探求心の強く勤勉な種族として海外でも高く評価されている。』

多くの方が共感できるのではないでしょうか。世界でも評価される国民性をもつ国が、なぜこれほどの閉塞感に覆われているのか・・・。その議論はまた別の機会にするとして、読んでいて久々に日本人であることに誇りを感じたので載せました。

ちなみにドナルド・キーンさんが書いた『日本人の質問』という本も最近少し読みました。これはキーンさんが日本人から受けた質問をもとに日本人の性質について分析しているという、少し変わった手法の本です。例えば日本人から「京都の女性はいい(好き)ですか?」という質問を受けて「なぜ日本人がこのような質問をするのか、日本人自身の日本人女性に対するイメージとは何か、なぜ京都は特別なのか・・・」というようなことを、キーンさんが分析するというような内容です。おもしろいですね。(さらっと読んだだけなので細部が違っていたらごめんなさい・・・。趣旨はこんな感じです。) 

その中でも印象に残っているのは『日本人から受ける質問は、大変真面目な内容ばかりである。』という話。深く納得してしました。スウェーデンでは会話の中でのジョークやウィットは日常茶飯事で、ジョークを理解しなければスウェーデン社会ではやっていけません。逆に、スウェーデンにいるときのやり方で日本で人に接していると、「あなたの冗談はきつすぎて全然面白くないわ、プンプン!」と怒らせてしまうと思います。

異なる文化を受け入れるにしても、異なる文化に溶け込むにしても 柔軟性が大事ですが、場面に合わせて文化を使い分けるのにも柔軟性が必要なんだなぁと感じるこの頃です。

ちなみに上に書いたプンプン発言が気に入ったので、記事のタイトルにしました:)

tisdag 10 maj 2011

フェミニズムと、大きなお世話


今日は母と「英国王のスピーチ」という映画を見てきました。励まされて「明日からがんばろう」と思えるような映画でした。ところで映画を見ながらポップコーンを食べる文化って、欧米由来なのでしょうか?ポップコーンって静かなようで、結構うるさいですよね?ポテトチップスほどじゃないけど、それでもパリパリ聞こえますよね?神経質な人(つまり私)は気になると思います。今日も隣りで母がパリパリとポップコーンを食べるのを聞きながら「静かさを重視するならどんなものがベストかしら」と映画を見ながら考えていたんですが、「ういろう」くらいしか思いつきませんでした・・・塩味のものがほしいときはどうしたらいいんでしょうね。

ところで、スウェーデンは男女平等がかなり徹底した社会なのですが、スウェーデン社会の中に入りこめば入りこむほど、スウェーデン人と深い会話が出来るようになればなるほど、自分との価値観の違いに対峙する場面が多くなってきました。スウェーデンの男女平等について簡単に説明すると、スウェーデン女性は甘えません。「女性だから容赦してもらおう」と考える人はいません。

日本でも「私だって甘えてないわ」と思う女性もいると思うのですが、「甘え」というのは「これは男の人にやってもらおう」というようなものだけではありません。例えば、「男の人を立てる/おだてる」という行為。本来、女の人は男の人より力が弱いというだけで、それ以外のことは男の人と同じくらい自分で何でもできるものです。重い荷物だってある程度は運べますし、機械だって直せる。給料のよい仕事に就くこともできます。

それができるにも関わらず、あえて男の人(主に旦那さんや彼氏)をたてる役に回り、働きやすい環境を整えるよう自然に努力している人は、大変多いと思います。男性もそれで喜ぶわけですから、それでうまく社会が回っていれば、それでもいいんです。日本みたいに。

でもフェミニズムに関心のある人や、私のように他の国の文化/価値観に触れてきた人の中には、「それでは不平等だ」と思い、「日本でも男女に平等な権利と役割を!」と思ってしまうんですね。私はそうした自分の価値観をいま住んでいる実家でも理解してもらおうと、兄弟(父は単身赴任中)に「私たち(母と私)だって働いているのに、家事を任せきりにしないで」と主張したり、料理・洗濯・アイロンとなんでもこなそうとする母に「お母さんが全部やることないんだよ。みんなでやるんだよ」と説得したりしてきました。私は家庭にフェミニズムを導入した英雄気取りでしたが、昨日 母に「お母さんは家事を苦だと思っていないし、やりたいからやってるのよ。今のままでいいのよ。変わろうとする方が苦しいな」と言われ、大変ショックを受けました。フェミニズムによって解放されるはずの女性(=母)が、それを望んでいなかったのです。

「男女平等」 への歴史が一本の線の上にあるとしたら、日本はスウェーデンに後れをとっています。「先進的な取り組みを、まだそれが出来ていない社会に普及させよう。そうすることでその社会はもっとよくなるはずだ」というのは、与える側の理屈であり、受け取る側がそれを望んでいないこともあります。簡単に言えば「大きなお世話」なことがあるのです。むしろ、その方が多いかもしれません。誰だって慣れ親しんだ文化や価値観を更新して、新しいことを始めるのは不安です。それは私がスウェーデン社会に入り込んで感じている不安そのものでもあります。

スウェーデンでは今や当たり前になっている男女平等の価値観も、元は女性を労働力として使うために国が意図して行った改革の結果でした。ちょうどその改革の時期に、これまでの価値観を更新し、新しい価値観に馴染まざるを得なかった80年代のスウェーデン女性の気持ちを考え、切なくなる今日この頃です。私も自分がどう馴染んで価値観を更新していけるのか、苦しさを抱えつつも観察を続けたいと思います。

それにしても「先進的な社会の論理を、後進的な社会にもたらして人々を幸せにする」という考えは、開発論と同じものがありますね。例えば、イスラーム社会で女性の解放をしようとする非イスラーム社会側の取り組みは、本当に現地の人にとって必要なのかというような問題です。西洋の価値観や先進国の価値観が正しいと、誰が決められるでしょう?難しいですね。

söndag 8 maj 2011

新しいスタート


今日から新しくブログをスタートすることにしました!

今までもブログを持っていたのですが(こちら:Njut av livet、コメントにいたずら書きが多いのと、大学を卒業して4月から一転、新生活が始まったので、ブログも新しくすることにしました。前のブログをお気に入りに登録してくださっていた方、すみません!今後もどうぞよろしくお願いします:D

(唐突な話ですが)広告を作るときや、新商品を開発するときって、よくターゲットを明確に決めますよね。以前読んだ広告会社の方の記事にはあるコーヒーの広告を作ったとき次のような細部までターゲットを絞ったそうです。

“会社の役職の40代男性で、日曜の朝は7時ごろに起き、(その)コーヒーを飲んでリラックスした後ゴルフに向かい、ランチにはサンドイッチを食べ -(省略)- 普段聞く音楽はジャズ、というような人」。びっくりですね。ターゲットを絞ると商品の軸がぶれないし、販売戦略も立てやすいのだと思います。 

今回ブログを新しくしようと思ったとき真っ先に考えたのは、「どんな人に向けて発信しようかな」ということでした。仲のいいお友達なのか、オープンにするからには誰でも読んで分かる内容にした方がいいのか、テーマにしている「スウェーデン」や「日本語教育」に興味のあるる方を想定するのか・・・
それぞれ「私」や「私の知っていること」に対して持っている知識が異なるし、そうしたらこちらから発信する内容や言葉にも違いがあるし・・・あーだし、こーだし・・・などなど悩んでいたのですが、そもそも「ブログ」はオープンな日記のようなものなので、「誰かに読んでもらう」ことを想定して書くのではなく、「自分が思ったことや日々のできごとを書きとめたらいいんだわ」というところに落ち着きました。(情報発信を目的にしたブログももちろんありますね。)いろいろ考えてぐるっと回ってスタート地点に戻った感じです。実はそれもいま、この記事を書きながら気づいた感じです。迷ったときは手を動かすべきですね。

以前のブログは「内容がかたい!」とお友だちにもよく言われたので、このブログは力を抜いて、日常のささいな出来事も書いていきたいと思います♪ どうぞよろしくお願いします:D

ところで今回はスウェーデン人がよく使っている「Blogger」でブログを作って見たのですが、アルファベット表記が主流のためか、日本語表記が明朝体しかできません・・・ 私はゴシック体が好きなのに、シクシク・・・ そのうち見慣れるかなー