話は変わって、異文化理解について最近思うところがあります。それは「異文化理解は歩みより」だということ。片方が片方を理解するだけではダメで、お互いがお互いを理解しようとする姿勢がとても大事だと思います。
そんな考えをいだくきっかけをくれたのは、週に一度チューターとしてボランティアで関わっている日本語学校の学生、Aさん。モロッコ出身のAさんは来日7年目で、日本人の奥さんとのあいだに2歳の娘さんがいます。日本語でのコミュニケーションも十分に取れます。
私はよくAさんと一対一で会話練習をしているのですが、チューターを始めて1カ月ほど経ったころ、こんなことがありました。
私: 「今日は雨が降っていますね。私は雨が好きです。Aさんも雨が好きですか?」
Aさん: 「はい、好きです。雪も好きです。」
私: 「私も雪が好きです!スウェーデンでよくスキーをしました。モロッコでは雪が降りますか?」
Aさん: 「(悲しそうに)降ります・・・、先生、前に写真を見せたじゃないですか。」
私: 「!!」
そうです、Aさんは会話練習を始めた当初、携帯に入れてあったモロッコの写真を私にたくさん見せて、自分の国について説明してくれました。その中にしっかり雪が積った山の風景もあったのに、私はそのことをすっかり忘れていました。というより、写真をみた日から一度もモロッコについて調べたり、興味を持とうとしたことがなかったのでした・・・。
この時私の頭をよぎったのは、自分がスウェーデンにいた頃のことです。スウェーデン人に囲まれて生活しながら、私は常に自分を彼らの文化・やり方に合わせるようにしていました。新しい文化を学ぶことはそれはそれで楽しいものなのだけど、逆にスウェーデン人の方から進んで私の文化を尊重してくれたり、理解しようという姿勢を示してくれたときは、やっぱりとても嬉しい気持ちになりました。
どんなに長く日本に滞在し、言葉を覚えて文化に慣れたAさんでも、心や身体が覚えているのは生まれ育ってきたモロッコの文 化だと思います。そうした心や身体を抱えながら日本で生活する中で、違和感や窮屈さ、疎外感もたくさんたくさん感じ てきたと思います。
そんなAさんが真にこちらの社会に溶け込むためには、Aさんだけが日本文化を理解し、日本のやり方に自分を合わせるだけでなく、その社 会に生きる私たちがAさん自身の文化を理解し、尊重しなければいけません。 片方が(特に力の弱い方が)もう片方を理解するだけではダメで、お互いがお互いを理解しようとする姿勢がとても大事。
そうした姿勢はもちろん一人のヒトとしても意識して持ち続けていたいものですが、日本語教師は学生がその社会の中で「自分のことを」すぐに話せる相手として認識する、大事な話し相手の一人です。そうした意味で、一人のヒトとして以上に彼らのの気持ちをくみ取るように努めなければいけないし、努めたいと思っています。
Aさん自身のアイデンティティに最も影響しているだろう「モロッコ」について興味をいだこうとしなかった自分の態度を深く深く、反省しました。Aさん、ごめんなさい・・・。そして学びをありがとう・・・。ちなみにその後モロッコについていろいろ学び、「タジン鍋」という料理がモロッコ人の食生活に欠かせないものだと分かって会話練習の話題に組み込んだところ、Aさんはとても嬉しそうでした。
異文化理解は、歩みより。秋にスウェーデンに行った際には、私が今のAさんと同じ立場(外国人)になります。そのときどきの自分の気持ちをしっかり受け止めて、異文化理解について考えながら、ヒトとしても日本語教師としても成長していきたいと思います:)
今日はこれから茶道の自主練をします・・・!
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